始皇帝の兵馬俑に項羽の放火跡――咸陽  転送

秦の始皇帝の陵墓から、6月9日までに大規模な放火の焼け跡が発見された。秦を滅ぼして劉邦と覇権をかけて争った項羽(前232〜前202)が放火したのではと推測されている。
 焼け跡が見つかったのは、2009年から発掘調査が行われている兵馬俑坑の1号坑。200㎡の調査で、盾や120体の兵士の陶俑に交じって、焼けた跡のある兵馬俑が発見された。また、盗掘跡とみられる大きな穴も発見されている。放火の時期は定かではないが、放火規模が大きいことから歴史上の大規模勢力、特に前206年の出来事として史記に記される項羽始皇帝陵墓掠奪の時の痕跡ではないかとみられている。
 項羽と劉邦の「宿命の対決」において始皇帝陵の焼き討ちは、項羽が当時秦を打倒する同盟相手だった劉邦を「鴻門の会」で謀殺しようとして未遂に終わった後に起きた出来事である。項羽劉邦と協力して40万の軍勢で咸陽の都(現在の西安郊外)を焼き払い、最後の秦王子嬰を処刑した。これまでの調査でも焼けたことを示す土が咸陽故城から出土していたが、始皇帝陵や阿房城で見つかった焼け跡は項羽とは別の時代のものなのではないかと議論されてきた。