後秦武昭帝原陵

後秦武昭帝姚萇原陵
姚萇(330−393)字は景茂、南安赤亭(今の甘粛省の隴西)の人。羌族。姚弋仲の子で後秦の創建者。姚萇の祖先は、代々羌族の酋長で、苻堅の時に前秦に帰属して益都侯に封ぜられ、何度も軍功を立てた。383年、苻堅が淝水の戦いで大敗を喫すると、翌年姚萇は渭北で兵を起こして、大将軍、大単于、万年秦王を自称した。385年、前秦西燕に敗れると、姚萇は長安を占領し、敗走した苻堅を五将山で殺害した。386年、姚萇は帝を名乗り、国号を大秦(後秦)として都を長安に置いた。死後、高陵県の原陵に葬られる。原陵のある場所は仰韶文化遺跡でもあり、新石器時代の陶片が一面から出土するが、原陵の跡はほとんど残っていない。