「漢」とは、元来は、漢中という中国の一地方の名称のことである 転送

司馬遼太郎の「項羽と劉邦」を読むとこのことが書いてある。漢の高祖の封地が漢中で、彼は、漢王と呼ばれていた。

劉邦の漢は、前漢後漢あわせて400年近く、古代の統一王朝で、中国の文字は漢字といわれ、中国の文学は、漢文漢詩といわれた。儒教を国境にしたのも前漢後漢が始まりである。あの広大な華北華中華南の地の中国を、紀元前から統一して統治できた、儒教という思想の思想力の強力さを周囲の地に見せ付けていたのが漢朝だったといえる。

もともとの漢中は、中国の奥地で、漢水という川が流れている場所だから、漢中といわれた。漢水は、黄河揚子江の支流のはずである。

まあ、中国の偏狭の地の地名が、中国を代表する象徴名称にまでなってしまったわけである。日本も、不名誉といえば不名誉だが、広島、長崎、福島といった地名が、日本を象徴する知名になろうとしている。日本から何をイメージするかというと、核汚染がイメージされてしまうというわけである。

まあ、漢朝400年は、その後の中国を完全に規定した。現代中国も、漢朝の遺風は残っているといえば残っているだろう。中国は統一されていなければならない、という、強迫観念をその後の中国人に植え付けたのも、漢朝だったのであろう。