中国の地方中小都市の発展−地下資源で儲けた楡林市、祖先祭祀で発展する固始県 お客様の口コミ

中国の地方中小都市の発展−地下資源で儲けた楡林市、祖先祭祀で発展する固始県
(1)楡林市
先日、学生時代に何度も通った陝西省北部楡林市を約10年ぶりに訪れました。90年代後半は車で20分ほども行けば空港で、そのそばには砂漠が広がっていました。その楡林市に属する定辺県はメインストリートが2本で、町を歩いて1周するのに1時間もかからないような規模で、記憶では一番高い建物でも6階建てくらいではなかったかと思います。
今回、再訪してみてびっくり。以前のメインストリートは街のほんの一部になっており、以前訪れたところのどこがどこかもすっかりわからなくなっていました。ビルやホテルが立ち並び、高級車が行きかって…。
この楡林地域が発展しだしたのは、地下資源のおかげです。中国のクエートと呼ぶ人さえあるというこの地域は、1998年に国家から国家級エネルギー化学工業基地建設の許可を受け、資源の開発に力が入れられてきました。その後、石炭価格の上昇やクリーンエネルギーへの転換政策なども追い風となりました。北京市などではこの楡林からパイプラインで送られた天然ガスが一般家庭でも用いられています(我が家も)。そのため、炭鉱や石油田、ガス田などを有する「オーナー」は大金持ち。ベンツなどの高級車に乗り、高額消費を行う。ここにホテルが多いのは、商談にやってくる人々のため、そして娯楽のため(ここではホテルにスパやカラオケなどが併設されていることが多い)のようです。物価も他都市に比べて高いとのこと。
実はこのあたりは、以前は砂漠化の進む地域(正確に言うと、黄土高原に北西からモウス砂漠の砂が押し寄せてくる縁)でした。私が学生時代に訪れたのも、植林について調査するためでしたが、今回この周辺はすっかり砂漠の緑化が進み、ほとんど砂漠を目にすることはありませんでした。卒業以来、植林の進展状況をフォローしていないのではっきりしたことは言えないのですが、当時始まったばかりだった植林の取組みが成果をみせているという印象を受けました。
以前は砂漠であった土地。植林が行われた結果、今は一面緑に覆われている。
(2)固始県
場所は変わって、夫の実家がある河南省固始県(県は市の下位の行政区画)。こちらも90年代までは市街地のメインストリートは二つ、約6km2ほどの町でしたが、今では面積40km2を越える都市へと拡大しました。郊外に工業用地を整備し、企業誘致を行っているほか、住宅が多く建設されていますが、誘致の成果も芳しくなく、住宅も空きが目立つとのこと。
固始県は特にこれといった産業もなく、今、振興の目玉は「祖先つながり」にあります。晋代、唐初、唐末、宋代の四度にわたり、固始県から現在の福建省のあたりに多くの人が移住したというもので、その子孫は後に華僑として台湾・香港・東南アジアをはじめ世界各国に渡っています。台湾の陳、黄、丘、林といった姓の人の先祖は大部分が固始の出身であるという記載もあるそうです。近松門左衛門人形浄瑠璃作品「国性爺合戦」のモデルとなった明代の鄭成功の先祖もここの出身だったとかで、固始県にも記念碑があります。
中国では自分の身近な先祖だけではなく、遠く遡った祖先にも思いを馳せることが多く、清明節(陽暦4月5日頃)に日本のお盆のように祖先の墓を参る習慣があるのですが、その際、中華民族の始祖と言われる黄帝の墓を参拝したり、自らの古い祖先を祭ったり、自分の家系のルートをだとったりする人が数多くいます。固始県でも、2009年より毎年秋に中華全国帰国華僑聯合会、河南省政治協商会、中華全国台湾同胞聯誼会主催で、「固始根親文化節(別称:中原根親文化節)」(根親とは同じルートをもつ者同士の情の意)が催されるようになり、台湾を中心として香港、東南アジアなど世界からの華僑が「尋根」(自らのルートを尋ねる)としてここを訪れ、福建省出身の華僑によるゴミ処理場建設への3200万元の投資、世界何氏宗親会(同姓団体)による固始県で最高級となる4つ星ホテル建設、香港の施氏信義集団による新農村建設のための2000万元の投資など、経済的に多大な恩恵を受けています。
このような中小都市の発展はやっと民衆の一部に恩恵にもたらし始めたところ。ここからどのくらいのスピードで人々の生活が底上げされていくのかは、まだ未知数と言えるでしょう。
文と写真:宮崎いずみ