シルクロード専用車チャーター、わがまま車両&日本語ガイド貸切、12日目



西安シルクロード出発点群像・乾陵→彬県→大佛寺石窟・徑川石窟回廊→平涼→固原須弥山石窟→中衛→長城遺跡・天梯寺石窟→武威→長城遺跡・山丹大佛→張掖→丹霞地貌・長城遺跡→酒泉→楡林石窟→敦煌敦煌石窟・鳴沙山→嘉峪関・懸壁長城→酒泉→白塔寺(108塔)→蘭州→黄河鉄橋→定西→水簾洞石窟・大像山石窟→天水→麦積山石窟・五丈原諸葛亮墓)→西安、1人のお客様、13日間、車両(セダン)、ガイド(日本語)、入場券(オフシーズン料金)、食事代(30元/食ぐらい)、ホテル代(100元/間/泊ぐらい)を含めて、人民元でおよそ25000元で済ますことができました。


黄土高原の段々畑

武山の鳩摩羅什ゆかりの水簾洞、









目玉、拉稍寺石窟の高さ41メートルがある北魏(559年)に 作られ、一仏二菩薩の巨大な石胎泥塑像
アジア一といわれる露天摩崖浮き彫り大仏・拉梢寺大仏は我が国の石窟芸術の中で実に珍しく、早期石窟文化を研究する上で重要な資料である。現在保存されているのは、各時代に作られた像が百体あまり、壁画が2000平方メートル以上、建物が十棟ほど、舎利塔が八基、題記碑刻が十枚、頭部の破損したミイラが一具ある。この拉梢寺摩崖にある題記を歴史別に区分したり、美術史の根源と発展を研究したりするには重要な実物的な資料であり、最も貴重なものである。












千仏洞石窟











武山市場

甘谷へ






大像山石窟(大佛)
甘谷大像山は甘粛省天水市甘谷県の南西2.5キロにある秦嶺の西端の文旗山に位置する。山裾の石の階段から頂上までは全部で1.5キロメートルで、敷地面積はおよそ640ムーである。ここはシルクロードの甘粛南東部において、石窟と古代建築物を一体させた重要な文化遺跡の一つである。大像山という名は山頂に大仏の像を彫刻したことからきている。甘谷大仏は釈迦牟尼仏である。大像山は大仏で世に知られ、ずっと大像山と呼ばれてきた。仏教協会会長の趙僕初氏が仏陀の生誕、歴史や故事を研究し、釈迦牟尼「象に乗り入胎する」の伝説により、大象山という呼び名が適切だと主張したことをきっかけに、正式に大象山となった。山上には松が群生していて、香りのよいクローブが美しく、亭台や楼閣が建てられ、優れた彫刻や回廊の絵が木々の緑に映えている。高く切り立った崖の間、垂直にそそり立つ崖に大きな洞窟があり、中には石胎泥塑の大仏が立てられている。半円で彫刻された石胎泥塑の甘谷大仏は高さが23.3メートル、肩の幅が9.5メートル、頭の高さが5.8メートル、膝の長さが6メートルもある。その仏像は高くて雄大で、見る人たちを仰ぎ慕わせ、その備え持った文化特質は西洋の装飾彫塑と中国の写意性の彫塑とが完璧に結びついた芸術作品である。考証によると、甘谷に仏像を彫塑することは北魏時代に遡り、四つの王朝、三百年余りの歴史があると言われる。


李広墓
秦州区の南側にある前漢の名将軍李広の衣冠が納められた陵墓で、その墓碑には漢将軍李広墓と記されている。李広は、匈奴討伐に功を挙げ、匈奴から飛将軍と恐れられていた天水生まれの将軍だった。しかし、紀元前119年(前漢の元狩4年)に大将軍衛青に從軍した匈奴討伐で敗北したため、その責任を問われ、自刃させられた。現在は烈士陵園となっており、一般に開放されている。

諸葛軍塁
甘粛省天水市内(秦城)にある。 諸葛亮が第四次北伐時に司馬懿軍と対峙 した場所。いわゆる土塁を築いたのだが、遺址が現在でも残されている。「諸葛点将台」 とも呼ばれる。


夜の天水ホテル(麦積区)