西渭橋

西渭橋(漢)西安市未央区
西安市三橋鎮の西北にかつて西渭橋があった。西渭橋は漢の建元三年(前138)に建設され、便橋あるいは便門橋と呼ばれ、唐代は咸陽橋と呼ばれていた。西渭橋は漢唐時代に長安と西域、巴蜀を結ぶ要道にあった。杜甫の『兵車行』にある「爺娘妻子走相送、塵埃不見咸陽橋」はこの橋を指している。唐の太宗が即位直後に突厥と会盟を結んだのもこの橋である。唐代は客人を見送る場所でもあった。しかし、安史の乱が起きて玄宗がこの橋を渡って蜀に逃れた際に楊国忠が碑を放って焼け落ちてしまった。