山西運城舜帝陵

山西運城舜帝


中国は二カ所に舜帝陵を持つています、山西省運城か湖南省寧遠か、現在も論争されていますが、今回は山西省運城の舜帝陵をご紹介します。




舜は五帝の一人にして重要な帝王です。

姓は姚(よう)、名は重華(ちょうか)、虞氏(ぐし)と称しました。

堯と並んで堯舜と呼ばれて聖人と崇められ、また、親孝行で知られています。

舜の母親はかつて大きな虹を観て、感精して舜を生みました。

両目に三ツの瞳、頭が四角い、口が大きい、皮膚が黒い、身長が2メートルとされました。
母を早くになくして、継母と連子と父親と暮らしていたが、父親達は連子に後を継がせるために舜を殺そうと狙っていました。

舜はそんな父親に対しても孝を尽くしたので、名声が高まり堯の元にもうわさが届きました。

堯は舜の人格を見極めるために、娘の娥皇と女英の2人を舜に降嫁させました。舜の影響によりこの娘達も非常に篤実となり、

また舜の周りには自然と人が集まり、舜が居る所には3年で都会になるほどでした。

舜が気に入った堯は舜を登用し、天下を摂政させました。そうすると朝廷から悪人を追い出して百官が良く治まりました。

それから20年後、堯は舜に禅譲しました。帝位についた舜は洪水を治めるために禹を採用し、禹はこれに成功しました。

その後、堯は39年間、帝位にあって最後は禹に禅譲して死去しました。禹は中国史上最初の王朝(夏王朝)を築き ました。

文字で書かれた歴史において、舜帝中華民族の徳孝の祖です。

舜帝陵は舜帝の墓地であり、祭祀場所でもあります。

山西省運城の舜帝陵は、運城市の北西にある鳴条崗に位置し、国務院が公布する国家重要文化財です。

石碑や歴史書の記載によると、舜帝陵は夏禹の時代に作られ、唐の開元26年(西暦738年)に廟が建てられました。

北魏から明清までの1400年以上に渡り、歴代の帝王、官僚、庶民が祭祀活動を行い、途切れることがありませんでした。

元の舜帝陵廟は2度と地震によって壊されてしまい、現在の舜帝陵廟は清朝に再度建て直されたのです。

舜帝陵廟内に入ると舜帝陵が目に入ります、

高さ3メートル、周囲の長さ51メートル、陵の前には「有虞帝舜陵」、「帝舜陵」とそれぞれ刻まれた2つの碑が立てられています。

舜帝陵景観地は国家4A級観光地に認定され、観光地の中、最も早く、規模の大きな、影響力のある文物旧跡です。

舜帝陵に関する歴史、自然、人文科学、景観が一体となった雄大なものです。

敷地面積は118ヘクタールを占め、観光区域と陵墓区域に分かれ、観光地は舜帝広場、舜帝神道(1㌔)、舜帝陵廟、舜帝公園、百花園、

植物園、暦山、条谷蒼野、雷沢湖、妫汭河及び遊園地、猿山等で構成され、観光地内に松と柏が青々とし、

数多くの花が美しさを競い、波うち、あぜ道が縦横に交差し、水系景観が南北を貫通し、皋、夔、稷、契四つのアーチが

山紫水明の景色を一望のうちにおさめることができ、北方園林建造者の知恵が現れています。

祖先を祀り、情操を陶冶し、肉体を鍛えるための素晴らしい聖地となっています。