青龍寺


西安青龍寺の写真

西安空海記念碑の写真
青龍寺
青竜寺は唐代の長安城新昌坊の東南隅にありました。隋の文帝の開皇二年(582年)にこの地に霊感寺が建立されたのに始まります。霊感寺はその後、戦乱のため廃絶しましたが、唐の高宗の竜塑二年(662年)になって、城陽公主が観音寺として復興しました。更に、唐の睿宗の景雲二年(711年)に青竜寺と称するようになりました。この寺は高台にあります。昔は初唐の政治の中心地であった大明宮とこの寺を結ぶ直線の大通りがありました。唐の名僧恵果は766年からこの寺に入山しました。この前、彼は大興善寺長安に居たインドの名僧不空の直弟子として、密教を深く学びました。恵果は青竜寺で住職になり、真言大教を創立した僧です。彼はこの寺でそれを日本や中国の僧に伝授しました。従って、この寺は日本とも深い関係を持っています。唐の徳宗貞元二十年(804年)に第十六回の遣唐使随行した弘法大師空海がここに止まって、東塔院にいた恵果阿闍梨から真言密教を学んで帰国したことは広く知られています。彼は長安で三年間、真言密教を中心に、儒教道教、医学、音楽及び料理などの知識を勉強して身につけて806年に帰国の途につきました。帰国後、空海高野山に金剛峰寺を建立して真言宗を確立しました。また、漢字の草書体を利用してひらがなを作ったとも言われ、日本の歴史で弘法大師は三筆と尊称されています。唐の高宗顕慶三年(658年)から唐の宣宗大中三年(849年)までの間に日本から19回遣唐使長安に派遣されています。長安で仏法と諸文化を学んだ著名な(入唐八家)の中の六家、即ち空海、円仁、円行、円珍、恵運、宗睿は青竜寺に入って密教を修行しました。空海に因縁ある四国四県と日本の真言宗門徒衆は、中国仏教協会及び西安市政府の協力の下に、1982年2月、青竜寺遺跡に空海記念碑が建立されました。高さ9.5mの大理石造りの記念碑は三層になっていて、正面には空海記念碑の五文字が金文字で刻まれ、東側には空海の経歴が、西側には記念碑建立の異議が、北側には記念碑建設の経過がそれぞれ刻まれています。記念碑のそばに四つの大きな円形の石燈があります。これは四国四県を象徴しています。記念碑の真正面に回廊に挟まれている展示室があり、空海とその関係文献などが展示されています。また、西安市の提唱により、日本の空海崇拝者の協賛を得て、1984年に青竜寺東塔院遺跡に恵果・空海記念堂が再建されました。堂の中には空海と恵果の説法像が並べられています。この記念堂は大雁塔の西側の石門の横木に線彫されている唐代の殿堂図と寺院の本堂の構造を参考にして建立されたものです。そのため、唐代の寺院建築の風格に富んでいます。工事中に古青竜寺の門址、塔址、殿堂の遺跡から出土した唐の蓮花模様の煉瓦、瓦當、鴟尾破片、鍍金小仏像、石刻仏像、唐三彩の皿・碗などがその中に展示されています。
住所:西安市西影路鉄炉廟村北 電話:029−85521498
営業時間:8:00−18:00 入場料:10元 普通の観光所要時間:約40分間