周幽王陵編

幽王墓は臨潼県の東15キロ、代王鎮宋家村にある。

周幽王姫宮涅は姫涅は西周亡国の君。宣王の後を次いで王となったが太子の宣臼を廃するなど、周朝の宗法を乱して朝政は混乱し、諸侯の信任を失って行った。幽王は褒姒を笑わせるために驪山から烽火を挙げていたために、申侯と犬戎が攻めて来たときに烽火を挙げたときに応援に駆けつけたのは鄭恒公だけであった。結局、鍋京は攻め落とされ、幽王は驪山で殺された。