西安市東郊外編

烽火台編

烽火台 周の幽王は褒似を溺愛したが、一度も笑わないのを苦にしていた。ある日、手違いで外敵侵攻を知らせる烽火が打ち上げられて、四方から駆けつけてきた武将たちが間違いと知ったときに褒似は笑った。幽王は褒似が笑う顔を見たいがために何度も烽火をあげ…

覇橋遺跡

覇橋遺跡 覇河の古代の名称は滋河と言い、春秋時代に秦の穆公が西戎を破ったことを称えて覇水と改名した。覇橋は中国の歴史上で最も古い大型の橋のひとつで、その歴史は2200年前まで遡り、古代の歴史に何度も登場する。覇橋は西安東部の交通の要衝で、古…

公主嶺編

王順山風景区編

鼎湖延寿宮遺跡編

懐珍坊遺跡編

藍関古道編

東湯峪温泉編

鯨魚溝編

蔡文姫墓編

蔡文姫墓 蔡文姫墓は藍田県三里鎮蔡王村にある。蔡文姫(昭姫)、陳留園(今の河南省の杞県南)の人。蔡ユンの娘、彼女は博識があり、音楽に通じていた。初め河東促道に嫁いだが、夫が亡くなってからは、実家に戻った。漢末の大乱で、董卓の捕虜となり、匈奴…

藍田溶洞編

網川編

大福和尚碑編

藍田猿人遺跡保管所編

上下悟真寺編

水陸庵編

水陸庵 水陸庵は西安の東南50キロの秦嶺の麓にあり、無類の美しさを持ち多種多彩な塑像を所蔵する。水陸庵は東向きに立てられ、山門内には前殿、中殿、大雄宝殿とその他の建築があり、殆どが明清のものである。この水陸庵は唐代あるいはその前の南北朝時期…

藍田猿人遺跡編

藍田原人遺跡 1963年5月、中国科学院などによる実地調査隊によって中年女性の原人の頭蓋骨の化石が発掘されました。 頭骨が厚く、額は平らで、眉骨がたくましく、 下あごが突き出したこの化石の鑑定の結果、北京原人よりも更に古く、およそ90−100…

漢太上皇陵編

西周烽火台編

周幽王陵編

幽王墓は臨潼県の東15キロ、代王鎮宋家村にある。 周幽王姫宮涅は姫涅は西周亡国の君。宣王の後を次いで王となったが太子の宣臼を廃するなど、周朝の宗法を乱して朝政は混乱し、諸侯の信任を失って行った。幽王は褒姒を笑わせるために驪山から烽火を挙げて…

清朝李宗𦫿墓編

魏媪墓編

漢簿昭墓編

戦国藺相如墓編

藺相如(戦国)墓、西安市臨潼区劇河の西、臨馬道の北 戦国趙の名臣、刎頚の交わりを結んだ将軍廉頗とともに趙を支え、秦も攻撃することができなかった。藺相如の墓の場所については諸説あるが、この墓は清康熙時代の『臨潼県志』に記載されていることが根拠…

東周扁鵲墓編

女娲墓編

慶山寺編

慶山寺(唐、西安市臨潼区) 慶山寺は隋唐時代の有名な寺で、驪山の東北10キロの新豊鎮に遺跡が残っている。1985年に発掘調査が行われ、唐開元29年(741年)の物とされる舎利棺具など、約120点の貴重な文物が発見された。中でも釈迦牟尼舎利宝…

秦坑儒谷編

秦坑儒谷 秦坑儒谷は西安市臨潼区西南10キロの韓峪郷洪慶堡にあり、儒生を穴埋めにしたと伝えられている。後漢の書物によれば、驪山の麓の温泉の出る暖かい場所で冬に瓜を発芽させ、儒生たちを騙して観察させた隙に矢を放ち、700人を穴埋めにしたと伝え…

鴻門宴遺跡編

鴻門宴遺跡 新の始皇帝陵から約六キロ離れた西南に鴻門堡村という小村があり、この村は歴史上に発生した重大事件【鴻門の会】の遺跡の所在地です。鴻門は黄土大地を切り開いた洞窟状の地形です。村人は祖先から何世代もずっと、今に至るまでこの地に住み続け…

臨潼博物館編

臨潼博物館 臨潼博物館は内外に有名な華清池の東端にあり、園林式に建築され、赤い柱が立っており、回廊の曲折などが雄壮で美しい。臨潼博物館は1979年に建てられ、6600平米の敷地に、600平米の陳列面積を持つ。館内には珍しい展示物が多く、“碑石芸…