臨潼(Lintong)編

秦統一彫塑群,西遊記群彫

秦統一彫塑群 西遊記群彫

烽火台編

烽火台 周の幽王は褒似を溺愛したが、一度も笑わないのを苦にしていた。ある日、手違いで外敵侵攻を知らせる烽火が打ち上げられて、四方から駆けつけてきた武将たちが間違いと知ったときに褒似は笑った。幽王は褒似が笑う顔を見たいがために何度も烽火をあげ…

漢太上皇陵編

西周烽火台編

周幽王陵編

幽王墓は臨潼県の東15キロ、代王鎮宋家村にある。 周幽王姫宮涅は姫涅は西周亡国の君。宣王の後を次いで王となったが太子の宣臼を廃するなど、周朝の宗法を乱して朝政は混乱し、諸侯の信任を失って行った。幽王は褒姒を笑わせるために驪山から烽火を挙げて…

清朝李宗𦫿墓編

魏媪墓編

漢簿昭墓編

戦国藺相如墓編

藺相如(戦国)墓、西安市臨潼区劇河の西、臨馬道の北 戦国趙の名臣、刎頚の交わりを結んだ将軍廉頗とともに趙を支え、秦も攻撃することができなかった。藺相如の墓の場所については諸説あるが、この墓は清康熙時代の『臨潼県志』に記載されていることが根拠…

東周扁鵲墓編

女娲墓編

慶山寺編

慶山寺(唐、西安市臨潼区) 慶山寺は隋唐時代の有名な寺で、驪山の東北10キロの新豊鎮に遺跡が残っている。1985年に発掘調査が行われ、唐開元29年(741年)の物とされる舎利棺具など、約120点の貴重な文物が発見された。中でも釈迦牟尼舎利宝…

秦坑儒谷編

秦坑儒谷 秦坑儒谷は西安市臨潼区西南10キロの韓峪郷洪慶堡にあり、儒生を穴埋めにしたと伝えられている。後漢の書物によれば、驪山の麓の温泉の出る暖かい場所で冬に瓜を発芽させ、儒生たちを騙して観察させた隙に矢を放ち、700人を穴埋めにしたと伝え…

鴻門宴遺跡編

鴻門宴遺跡 新の始皇帝陵から約六キロ離れた西南に鴻門堡村という小村があり、この村は歴史上に発生した重大事件【鴻門の会】の遺跡の所在地です。鴻門は黄土大地を切り開いた洞窟状の地形です。村人は祖先から何世代もずっと、今に至るまでこの地に住み続け…

臨潼博物館編

臨潼博物館 臨潼博物館は内外に有名な華清池の東端にあり、園林式に建築され、赤い柱が立っており、回廊の曲折などが雄壮で美しい。臨潼博物館は1979年に建てられ、6600平米の敷地に、600平米の陳列面積を持つ。館内には珍しい展示物が多く、“碑石芸…

龍驤藝術博物館編

石瓮寺編

明経宮編

三元洞編

晩照亭編

老母殿編

烽火台編

兵諌亭編

華清宮御湯遺跡博物館

姜寨遺跡編

華清池・宮編

華清池・宮 華清池は西安から東に30キロ離れた驪山の麓にあります。驪山は海抜1256m、風景秀麗なところで、三千年前の西周時代からの温泉の湯元があります。そのため、ここは歴代の帝王が享楽に耽った所でした。西周時代末期の周の幽王はここを驪宮と…

秦兵馬俑(兵馬傭)坑博物館編 

兵馬俑(兵馬傭)坑博物館 始皇帝陵から東へ1.5Kmの地点に、世界八番目の不思議とも呼ばれる兵馬俑(兵馬傭)坑がある。1974年3月に旱魃に窮した地元農民が井戸を掘り始めた。2,3m掘ると変わった陶器の破片が見つかった。考古学者の鑑定によって…

秦始皇帝陵編

秦の始皇帝陵 始皇帝凌.jpg (7948 バイト) そのスケールは世界第三位、驪山の北麓にある。高さは47m、一見普通の小高い山に見えるが、実は盛り土の墓である。始皇帝は紀元前259年の生まれで、名は瀟政と言う。13歳で即位して、22歳で自ら政務を執…