定陵(唐中宗李晃の墓)

唐中宗李顕定陵
 唐中宗李顕定陵は富平県鳳凰山の獅子窟村の北、県城の南13キロメートルにある。李顕はまたの名を哲とも言い、高宗李治の第7子で母は武則天。680年、章懐太子に代わって皇太子となり、684年には皇帝となった武則天によって退位させられ、武則天の死後705年に再び皇帝となった。710年6月、皇后韋氏と娘の安楽公主に毒殺され、送り名を孝行皇帝、廟号を中宗とし、その年の11月に陵に埋葬された。定陵は墨青石岩でできた3つの山が連なるようになっていて、あたかも1羽の鳳凰が飛びまわるようなので、“鳳凰山”とも呼ばれる。陵園は長方形で、北高南低、南から北に向かって多層になっている。周囲は約10キロメートルあり、朱雀、玄武、蒼竜、白虎の四門、陵の前には現在石獅子1対(1つは残骸)、石像5つ(2つは残骸)が残っている。《旧唐書》、《長安志》、《富平県志》の記録によれば陵区には王妃の趙氏、節愍太子重俊、公主宜成、長寧、成安、安定、永寿などの墓が15座記載されて いて、10座が現存する。この中で節愍太子重俊の墓が発掘されていて、墓の中から見事な壁画や陶俑など、大量の文物を出土している。
住所:富平県鳳凰山の獅子窟村の北
開放時間:24時間 入場料:0元(無料) 普通観光所要時間:約40分間