渭南(Weinan)編

命がけ!天空の絶壁ハイキングに観光客が殺到―陝西省華陰市 転送

2013年6月6日、中国の五大名山に数えられる陝西省華陰市の華山。断崖絶壁の続く険しい山として有名なのだが、その絶壁に据えられた桟道が「危険すぎる」として海外メディアの注目を集めている。中国の大手ポータルサイト・新浪(Sina)の報道。 垂直に切り立…

李鳳墓

房陵大長公主墓

乙佛氏墓

乙佛氏 西魏の初代皇帝文帝は乙佛氏をめとり、文帝の寵愛を一身に集め、12人の子を産んだが、太子一人を除いて全て夭折した。文帝が東魏を攻めているときに、北方から柔然国が攻めてきて、和親を結んで柔然国王の長女である悼后をめとり、乙沸氏を廃して離…

李重俊墓

方源寺塔

成陵(北周文帝の墓)

北周 世祖文帝宇文泰成陵 宇文泰(507−556)字は黒獺、鮮卑族。十六国時代、宇文部は鮮卑族の慕容部冊の攻撃を受けてモンゴル草原から中原に入り、漢族と雑居するようになった。北魏末期になると、各民族は武装蜂起し、軍の統率者や王公貴族も機会に乗…

欽陵(西魏廃帝の墓)

西魏 廃帝元欽陵 元欽(525−554)は元宝炬の子。551年1月、西魏文帝元宝炬が亡くなると元欽が後を継いだ。しかし、大権は宇文泰の手中にあり、元欽には何の権限 もなかった。552年、西魏は各地に兵を送り、領土を広げた。しかも、西魏軍の規律…

北魏孝武帝云陵

李因篤墓

李光弼墓

王翦墓

王翦(秦)渭南地区富平県 咸陽の東北、頻陽県の出身。子の王貢、孫の王離と「三代秦の将軍」として活躍する。白起とともに、「史記」巻七三に列伝がある。 住所:渭南地区富平県 電話: 開放時間:24時間 入場料:0元(無料) 普通観光所要時間:約30…

鉄仏造像

簡陵(唐懿宗李崔の墓)

唐懿宗李崔簡陵 唐懿宗李崔簡陵は富平県の西北30キロメートルの長青郷紫金山上にある。李崔は西暦875年に埋葬された。陵園には石馬が一対(残骸)、3つの小石獅子、5つの大石獅子、3つ石像(残骸)が現存する。 住所:富平県の西北30キロメートルの長青郷…

章陵(唐文宗李昴の墓)

唐文宗李昴章陵 唐文宗李昂章陵、富平県の西北10キロメートルの西峰郷の天乳山上にある。李昂(809〜840年)は穆宗の子、敬宗の弟。李昂は宝暦2年12月、宦官の王守澄等に捕らえられ、827年から840年に死ぬまで軟禁された。《富平県志》による…

豊陵(唐順宗李誦の墓)

唐順宗李誦豊陵 唐順宗李誦豊陵は富平県の東北17キロメートルの雷村金瓮山上にある。李誦(761年〜805年)は唐徳宗李適の子。李誦は太子になるとすぐに王叔文、王丕と共に政治変革を計画した。貞元21年(805年)正月に帝位を継ぐが、同年8月に宦…

元陵(唐代宗李豫の墓)

唐代宗李豫元陵 唐代宗李豫元陵は富平県西北15キロメートルの檀山上にある。陵園内には、石柱が1つ、2対の石獅子(残骸)、3対の石馬(残骸)があるだけで規模は小さい。 住所:富平県西北15キロメートルの檀山上 開放時間:24時間 入場料:0元(無料)…

定陵(唐中宗李晃の墓)

唐中宗李顕定陵 唐中宗李顕定陵は富平県鳳凰山の獅子窟村の北、県城の南13キロメートルにある。李顕はまたの名を哲とも言い、高宗李治の第7子で母は武則天。680年、章懐太子に代わって皇太子となり、684年には皇帝となった武則天によって退位させら…

西魏文帝永陵

西魏 文帝元宝炬永陵 元宝炬(507−551)、北魏節閔帝の孫、京兆王元愉の子、母は楊氏。530年に南陽王となり、北魏孝武帝の時に、太保、尚書令となった。534年、孝武帝は関中に身を寄せたが、まもなく孝武帝が殺害され、宇文泰は元宝炬を帝に擁立…

曹全碑刻

合陽関帝廟

羅山寺塔

千金塔

解床佛殿

梁山千仏洞洞穴

雷有終墓

高辛氏帝告陵

高辛氏 帝告 帝告は姓は姫、号は高辛氏。黄帝の長男の玄頊の末裔で15歳の時から顓頊を補佐し、30歳で首領となった。陝西省渭南地区合陽県に帝告陵がある。 住所:陝西省渭南地区合陽県 開放時間:24時間 入場料: 観光所要時間:約3、40分間

尊経閣

玄武青石殿

蒙漢合文碑