唐代皇帝十八陵

簡陵(唐懿宗李崔の墓)

唐懿宗李崔簡陵 唐懿宗李崔簡陵は富平県の西北30キロメートルの長青郷紫金山上にある。李崔は西暦875年に埋葬された。陵園には石馬が一対(残骸)、3つの小石獅子、5つの大石獅子、3つ石像(残骸)が現存する。 住所:富平県の西北30キロメートルの長青郷…

章陵(唐文宗李昴の墓)

唐文宗李昴章陵 唐文宗李昂章陵、富平県の西北10キロメートルの西峰郷の天乳山上にある。李昂(809〜840年)は穆宗の子、敬宗の弟。李昂は宝暦2年12月、宦官の王守澄等に捕らえられ、827年から840年に死ぬまで軟禁された。《富平県志》による…

豊陵(唐順宗李誦の墓)

唐順宗李誦豊陵 唐順宗李誦豊陵は富平県の東北17キロメートルの雷村金瓮山上にある。李誦(761年〜805年)は唐徳宗李適の子。李誦は太子になるとすぐに王叔文、王丕と共に政治変革を計画した。貞元21年(805年)正月に帝位を継ぐが、同年8月に宦…

元陵(唐代宗李豫の墓)

唐代宗李豫元陵 唐代宗李豫元陵は富平県西北15キロメートルの檀山上にある。陵園内には、石柱が1つ、2対の石獅子(残骸)、3対の石馬(残骸)があるだけで規模は小さい。 住所:富平県西北15キロメートルの檀山上 開放時間:24時間 入場料:0元(無料)…

定陵(唐中宗李晃の墓)

唐中宗李顕定陵 唐中宗李顕定陵は富平県鳳凰山の獅子窟村の北、県城の南13キロメートルにある。李顕はまたの名を哲とも言い、高宗李治の第7子で母は武則天。680年、章懐太子に代わって皇太子となり、684年には皇帝となった武則天によって退位させら…

光陵(唐穆宗李恒の墓)

唐穆宗李恒光陵 李恒(795−824)は憲宗の第三子で母は懿安皇太后郭氏。宦官によって擁立され、穆宗と称したが、穆宗の生活が乱れていたために、政治は腐敗し、権力闘争が激しくなって行った。824年、中毒で30歳で亡くなり、光陵に葬られた。光陵…

景陵(唐憲宗李純の墓)

唐憲宗李純景陵 李純(778−820)は順宗の長男で母は王氏。805年、李純は宦官の倶文珍などの擁立されて皇帝になったが、在位中は謀反が多かった。8020年、宦官の陳弘志等に殺害されて景陵に葬られた。景陵は蒲城県の東北15キロの三合郷義隆村…

泰陵(唐玄宗李隆基の墓)

唐玄宗李隆基泰陵 李隆基(685−762)は唐睿宗李旦の第二子。710年、韋后が中宗を毒殺し、皇太后の身分で執政し、さらに睿宗李旦を殺そうとたくらんでが李隆基は太平公主と協力してクーデターを起こして韋氏とその側近を排除した。しかし、宮廷の内…

惠陵(唐譲皇帝李憲の墓)

唐譲 皇帝李憲惠陵 李憲は睿宗李旦の長男で玄宗李隆基の兄である。李憲は皇帝にはならなかったが、弟の李隆基が皇帝として葬り、墓も惠陵の号を贈られた。現在、石碑が1つ、石馬、石獅子が一対ずつ残っている。 住所:蒲城県 開放時間:24時間 入場料:0…

橋陵(唐睿宗李旦の墓)

唐睿宗李旦橋陵 唐睿宗李旦橋陵は蒲城県の西北15キロメートルの金熾山、今の坡頭郷安王村にある。李旦(662年-716年)、唐高宗李治の子で684年から690年と710年から712年まで在位した。614年、武則天は中宗李顕を廃して李旦が23歳で…