漢宣帝許后少陵

漢宣帝許后少陵
宣帝の皇后である許平君の陵は現在の長安区大兆郷司馬村、杜陵の南にある。司馬という地名は前漢の大司馬霍光の墓がこの辺りにあったことに由来するらしい。許皇后陵は宣帝杜陵よりやや小さいことから少陵と呼ばれている。許平君は獄吏の娘として生まれた。民間人として暮らしていた劉詢と結婚し、貧しい暮らしをしていたが、18歳のときに朝廷の使者がやってきて劉詢が皇帝になり、許平君も皇后となった。劉詢は皇帝になってからも許平君を愛し、その優しい性格で多くの人から敬われた。しかし、自分の娘を皇后にしようとした霍光の妻によって毒殺された。