2008-11-07から1日間の記事一覧

烽火台編

烽火台 周の幽王は褒似を溺愛したが、一度も笑わないのを苦にしていた。ある日、手違いで外敵侵攻を知らせる烽火が打ち上げられて、四方から駆けつけてきた武将たちが間違いと知ったときに褒似は笑った。幽王は褒似が笑う顔を見たいがために何度も烽火をあげ…

漢長安城未央宮皇居氷室遺跡

漢代長安城の城壁

覇橋遺跡

覇橋遺跡 覇河の古代の名称は滋河と言い、春秋時代に秦の穆公が西戎を破ったことを称えて覇水と改名した。覇橋は中国の歴史上で最も古い大型の橋のひとつで、その歴史は2200年前まで遡り、古代の歴史に何度も登場する。覇橋は西安東部の交通の要衝で、古…

西安曲江池遺跡(漢)、西安曲江池遺跡公園・テーマパック(現在)

西安曲江池遺跡(漢)、西安曲江池遺跡公園・テーマパック(現在)、西安市雁塔区 曲江池遺跡は西安市の南郊外の曲江池村にあり、漢代と唐代に建造された豪華な園林である。最初は漢武帝の時代に造られたが、一度干上がってしまい、唐の開元年間に再び水が注…

漢宣帝許后少陵

漢宣帝許后少陵 宣帝の皇后である許平君の陵は現在の長安区大兆郷司馬村、杜陵の南にある。司馬という地名は前漢の大司馬霍光の墓がこの辺りにあったことに由来するらしい。許皇后陵は宣帝杜陵よりやや小さいことから少陵と呼ばれている。許平君は獄吏の娘と…

漢杜陵(宣帝劉詢墓)

↑漢杜陵(宣帝劉詢墓)の写真 劉詢(前91−前49)、字は次卿、父は史皇孫、母は王夫人。劉佛の死後、18歳で皇帝となり、26年在位して病死すると杜陵に埋葬された。漢宣帝杜陵は西安市雁塔区曲江郷三兆鎮の南にある。劉詢は武帝の曾孫であったが、出生…

唐宮廷の井戸

唐宮廷の井戸 ◎翻訳ソフトで、訳した文章で、意味がご分からない場合はxiaojunn@gmail.comまでお気軽にお問い合わせ下さい:1980年9月の建設工事で発見して、井戸は九成宮と宮城の大通りの南の側に位置して、当時の宮の中で重要な飲用水井戸です。井戸の口径…