尉遅敬徳墓

尉遅敬徳(585-658)咸陽市礼泉県
唐初の大将尉遅敬徳墓は礼泉県東北18キロの烟霞新村にあり、夫人の蘇氏と共に合葬されている。尉遅敬徳の名は恭、敬徳は字。朔州善陽の人。隋末は劉武周の元で農民の反乱を鎮圧していたが、劉武周が唐に破れると李世民の元に降りて右一府統軍を率いた。その後、戦功により秦王府左二副護軍を授けられる。玄武門の変では李元吉を射殺し、太子左庶子を授けられた。貞観元年(627年)に右武侯大将軍となり、呉国公に封ぜられたが、長孫無忌と対立して貞観8年に左遷により鄂国公に改封された。死後、開州都督を贈られ、忠武という謚名で昭陵に陪葬された。墓は土盛りの円錐形で高さは11m。高さ4.45mの墓碑があり、墓誌は唐代の墓誌の中で最大級である。
住所:礼泉県烟霞新村 電話: 
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