名人墓(隋・唐)編

陝西省が1800万円を投じて唐高力士墓道を改修

陝西省が1800万円を投じて唐高力士墓道を改修 唐代の有名な宦官、高力士の墓は長年にわたり修復されず、倒壊の危機に瀕していた。陝西省は109万元(約1800万円)を投資して改修・補強工事を行なうことを決定し、既に墓道入口の保護建築物の主体工事は完了し…

西安 三蔵法師、猪八戒、沙悟浄のお墓・舎利塔

西安 三蔵法師、猪八戒、沙悟浄のお墓・舎利塔

玄奘墓

秦叔宝墓

秦叔宝(?-638)咸陽市礼泉県 秦叔宝の名は瓊、字は顕。斉州歴城の人。大業年間は隋の来護児に仕えていた。隋末は張須陀に従って農民反乱を鎮圧していたが、張須陀が李密と戦って討死すると李密に従い、李密が敗れると王征充に従って龍驤大将軍になった。間…

温彦博墓

温彦博(573-636)咸陽市礼泉県 温彦博は并州祁県の人.隋末は幽州総管の羅芸の元の司馬でわったが帰唐して総管府長史を任され、その後、中書舎人、中書侍郎を歴任した。武徳8年(625年)に并州道行軍長史として突厥に進行したが破れて捕虜となり陰山(…

李靖墓

李靖(571-649)咸陽市礼泉県 字は葯師。唐初期の著名な軍事家で京兆三原の人。隋大業12年(610年)に長安の功曹に任命された。李淵父子が太原で兵を挙げて南下して来たときに長安を守ったが李淵の大軍に破れて捕虜となり、その後李世民に仕えた。武徳…

尉遅敬徳墓

尉遅敬徳(585-658)咸陽市礼泉県 唐初の大将尉遅敬徳墓は礼泉県東北18キロの烟霞新村にあり、夫人の蘇氏と共に合葬されている。尉遅敬徳の名は恭、敬徳は字。朔州善陽の人。隋末は劉武周の元で農民の反乱を鎮圧していたが、劉武周が唐に破れると李世民の…

李勣墓

李勣(593-669)咸陽市礼泉県 李勣墓は礼泉県東北18キロの烟霞新村、昭陵の南側にある。墓は3つの土盛りの円錐が重なった形をしている。これは李勣が突厥を破ったときに遠征した陰山、鉄山、鳥徳勒山を意味する。墓の前には李勣の功績を称えた巨大な碑石…

柳公権墓

柳公権墓 柳公権墓は耀県の西北20キロメートルの阿子郷馬吉村にある。柳公権(西暦778−865)字は誠窓。京兆華原(今の耀県)の人、唐代の書家で、顔真卿と肩を並べる。書碑が多く、《玄秘塔碑》、《金剛経》、《神策軍碑》は有名で、書跡には《送梨貼…