三蔵法師の遺骨奉じる寺、世界遺産申請のため撤去…寺反発=西安、転送

小説「西遊記」のモデルとなったのが玄奘(602−664年)のインド紀行だ。玄奘が著した「大唐西域記」は当時のいわゆる「シルクロード」の状況を知るための貴重な文献だ。当局は、その玄奘の遺骨の一部を納めた墓塔がある興教寺の建物の多くの撤去を通達した。「シルクロード」を世界遺産に申請するための整備の一環という。寺側は反発し、当局に対して申請対象の一部として扱うことを撤回するよう求めた。

 興教寺の所在地は陜西省西安市長安区。中国中央政府文化財の保護・管理を担当する国家文物院は2012年4月、陜西省の漢代長安城遺跡(未央宮など)、唐代長安城遺跡(丹鳳門遺跡、含光門、大雁塔、小雁塔)、興教寺塔、乾陵、張騫墓を、シルクロード関連の文化財として世界文化遺産に申請すると発表した。

 2013年3月になり、現地当局は世界文化遺産に申請する必要のため、興教寺内の多くの建造物を撤去すると通達した。玄奘の墓塔などは撤去しないが、僧寮や禅堂である三蔵院の回廊、配殿、垂花門など床面積約4000平方メートル分を撤去するとの内容だった。

 西安市長安区民俗宗教事務局文物管理科の趙暁寧科長は、「玄奘の墓塔などは文化財に指定されているが、僧寮や禅堂は文化財には含められず、建築物や建築密度が大きすぎ、墓塔の周辺と風貌が調和していない」と、撤去理由を説明した。

 僧寮については、同寺山門から300メートルの地点に、新たに建設用地を確保する計画と説明。

 しかし寺側は「これまで世界遺産への申請を支持してきた」と説明した上で、院の建物を撤去するなら話は別として、当局に対して申請対象の一部として扱うことを撤回するよう求めた。

◆解説◆

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 「三蔵法師」とは、仏教の経蔵・律蔵・論蔵の三蔵に精通した僧侶を指す尊称だ。玄奘以外にも多くの「三蔵法師」が存在するが、中国でも「三蔵法師」と言えば、まず玄奘をイメージするのが一般的だ。

 玄奘は帰国後の645年に、持ち帰った膨大なサンスクリット語の翻訳に従事した。玄奘の仕事は、それまでの翻訳上の間違いを修正し、より適した訳文を用いるなど、中国仏教の発展に大きく貢献した。一般に、玄奘以前の鳩摩羅什(くまらじゅう)らの漢訳仏典を旧訳(くやく)、それ以後の漢訳仏典を新訳(しんやく)と呼ぶ。

 玄奘の遺骨の一部は南京市で1942年、整地作業をしていた旧日本軍が発見した。南京市の中華門外にある雨花台で発見した石棺を日中双方の専門家が調査したところ、石棺内部に掘られていた墓誌により玄奘の遺骨を納めた墓と分かった。

 墓誌には、宋代の天聖5年(1027年)に長安から南京にもたらされた玄奘の遺骨と記録されていた。石棺内には頭骨と多数の副葬品が納められていた。南京に分骨されたのは、盗掘リスクを低減するためと考えられている。

 遺骨の扱いについて戦争中だった日中が応酬したが、両国で分骨することで結着した。中国では北平(現、北京)の法源寺、南京の霊谷寺成都の浄慈寺などに安置された。法源寺の遺骨は1949年に盗まれた。

 日本では埼玉県の慈恩寺に奉安されたが1955年には中華民国(台湾)仏教会からの要請に応え、台湾にも分骨された。その後、奈良の薬師寺にも分骨された。(編集担当:如月隼人)