秋風楼、後土廟<祠>

 
秋風楼は山西省万栄県西南40キロメートルの黄河東岸の後土廟内にに建つ、前漢武帝の詩、「秋風辞」にちなんで建てられたものです。
全国重点文物保護単位(国宝)に指定されています。


後土廟は前漢の文帝の時代に建てられ、前漢武帝は、後土廟を祀るために五回も来られて、初老に差し掛かった希代の皇帝の寂寞とした気持ちがよく現れた『秋風辞』という名歌を作り出しました。前漢武帝以降、後土廟は歴代の皇帝が土地の神を祭るところとなり、その後、拡張、修復、再建を何度も繰り返しました。宋真宗時代に後土廟の敷地面積は66ヘクタールにのぼり、今の25倍ほどに広がりました(後土廟<祠>内に宋真宗の直筆「萧墙碑」が残っています)。清順治十二年、黄河の氾濫によって、すべての建物は洪水で流されてしまい、約200年後の1870年に当地百姓と官員の寄付によって後土廟<祠>をこの高台へ移していたのでした。現在残る山門、劇台(舞台)、東西五虎殿、献殿、正殿、宋真宗碑廊、秋風楼などはいずれも清代の建造ですが、秋風楼清代の造りをそのまま今も見せています。廟内の3基の舞台は「品」字形のレイアウトで、全国の古代舞台構造の特例です。













秋風楼は後土廟内の一番奥に建っています。何年の創建年代は不詳。現存の建築は清朝の建物で、高さは33メートル、下部に高大な台座があり、東西は貫き、東西にそれぞれ門があり、レンガに彫られた横書きの額が目に入ります。東門は「瞻魯」、西門は「望秦」。秋風楼はレンガで築いた台座の上に建ち、周囲には花模様の壁がはりめぐらされています。楼は三層造りです。各層の一面は五間に分かれ、四周に廊下が走り、屋根は入母屋式造り。一、二層の各面の中央には「亀座」と呼ばれる小さな部屋が突き出ていますが、設計は至妙でとても優美です。三層は四方を眺められる構造になっていて、欄干にもたれて遠望すれば黄河の激流が目に飛び込んできます。ビルの割合は適当で、軒下の斗拱は簡潔で、構造は精美古朴、形と構造は壮麗で、全国の重要な文物保護財です。









「秋風 起こりて  白雲 飛び,
草木 黄落して  雁 南歸す。
蘭に 秀(しう) 有りて  菊に 芳(はう) 有り,
佳人を 懷(なつか)しみて  忘るる 能(あた)はず。
樓船を 汎(うか)べて  汾河を 濟(わた)り,
中流を ?ぎりて   素(しろ)き波を 揚(あ)げ。
簫鼓 鳴りて   櫂歌(たうか) 發(お)こる,
歡樂 極りて  哀情 多し。
少壯 幾時(いくとき)ぞ  老いを 奈何(いかん)せん。」
武帝の「秋風辞」の碑ですが、元代の大徳年間に刻されたこの碑は楼の三層にあります(楷書)、清代の同治年間に刻されたこの碑は楼の二層にあります(篆書)、秋風楼は古く危険なので登楼出来ずでこの2つの碑は拓本でしか見られません(後土廟内の売店で売られています)が、楼の一層にあり、現代に刻まれたこの碑が見られます(行書)、字が旨い、中国少年先鋒隊のミニバッジを設計した劉恪一さんに書かれたものです。

秋風楼は全体的に非常に均整のとれた造りとなっています。檐の下の欄に彫られた花卉、動物などの文様、そして二層の亀座の廊柱の彫刻はとくに見事です。秀麗な姿を誇る秋風楼は、中国建築史上で重要な地位にある楼のひとつと言えます。