西安 慈善寺石窟

西安 慈善寺石窟

慈禅寺石窟は宝鶏麟游県城の南西の約3キロメートルの所に位置して、東は西安より160キロメートル、南は宝鶏より110キロメートル。慈禅寺の石窟は隋の文帝の時期に切り開き始まって、唐高宗李治と武則天の時期に開け続けて、そして過去の建物も拡修続けました。ここは隋唐皇帝の皇后と妃嬪と大臣が麒麟で避暑する時、仏陀に礼拝する寺院です。慈禅寺の石窟は現在の国家級の重要文化保護遺産になっています。

慈禅寺石窟寺は隋、唐の時期に皇帝が九成宮に来て避暑して仏像に礼拝するために、建てられた皇室の寺院です。ここは周囲に山や河が多く、林木も生い茂っています。慈禅寺石窟の第1洞穴の主な仏陀は隋の時代に刻んでつくり。隋代は短くて、仏教遺物があまり残されていないです。慈善寺の第1洞穴の主な仏陀のようなこんなに高く大きくて完全に残されている隋代皇宮の石窟造像はきわめて貴重です。唐代に慈善寺を利用続けて、仏事の活動を行う以外、また九成宮の周囲でいくつか寺院を新たに作りました。第1洞穴の左右の両側に立ってる仏陀と第2洞穴の立ってる菩薩などは全部唐代に刻んで、高くて大きくて、精巧で美しい、線もなめらかで、顔つきは慈悲深くて優しいです。第2洞穴にある唐代に刻んだ“敬福経”は全国に現存して、刻むのが一番早くて、文字も最も多くて、内容が最も完備な俗世間のお経です。慈善寺で出土した仏陀造像がある瓦当もきわめて貴重です。

慈禅寺石窟が現存している三大洞穴には、40あまり尊の造像があり、南北の二つの大きい洞穴にいる主な仏陀は皆高さが4.5メートル以上、造像は皆まろやかで潤いがあってふくよかで、精巧で絶妙です。時代の風格は鮮明で、隋唐の皇室の寺院の仏教芸術の逸品となります。

中国・陝西北部の石窟を巡る旅、1名より催行