漢高祖薄姫南陵編

漢高祖薄姫(漢)西安市覇橋区
薄姫の父は呉国人。秦末に魏豹が王を称すると薄姫は宮女となった。魏豹失脚後、漢王の劉邦が薄姫に一目惚れして后宮に召された。劉邦との間に劉恒が生まれ、劉恒は8歳になると代王に封ぜられ、薄姫は代太后となった。やがて呂氏が滅ぼされると劉恒は漢の大臣たちに皇帝(文帝)として迎えられ、薄姫は皇太后となった。劉邦の長陵には呂后が合葬されていたので、文帝は母の為に自分の陵の南に薄姫の陵を作った。薄姫陵は文帝の覇陵の南4.5キロにあり、東西140m、南北173m、封土の高さは24mある。