橋陵(唐睿宗李旦の墓)

唐睿宗李旦橋陵
唐睿宗李旦橋陵は蒲城県の西北15キロメートルの金熾山、今の坡頭郷安王村にある。李旦(662年-716年)、唐高宗李治の子で684年から690年と710年から712年まで在位した。614年、武則天は中宗李顕を廃して李旦が23歳で帝位についたが、李旦も690年に武則天によって廃された。710年、中宗李顕が皇后韋氏と娘の安楽公主に毒殺され、韋氏が女帝に立とうとしたが、李旦の子、李隆基が挙兵して韋氏とその側近を殺して女帝の再来を防 いだ。李旦も在位三年で帝位を李隆基に譲った。橋陵墓には現在石人像が10対、石馬が5対、石獅子、石駝鳥、一角獣、石柱が各1対残っている。碑名の中に唐玄宗李隆基の手紙の内容や、後世に称えられた雲麾将軍の李思訓碑がある。橋陵内には皇后、太子、公主や大臣などの合葬、陪葬があり、惠床太子墓、金仙公主墓、李憲墓(惠陵)から出土した文物は蒲城博物館などに展示されている。
住所:蒲城県の西北15キロメートルの金熾山、今の坡頭郷安王村
開放時間:24時間 入場料:0元(無料) 普通観光所要時間:約40分間