香積寺

香積寺
 
 香積寺は西安の南約17キロの長安県神禾原にあります。この寺は仏教浄土宗の第二世善導法師を祭るために建てたもので、境内には善導法師の舎利塔があります。この寺は浄土宗の発祥の地とみなされています。寺の建立は唐の中宗の神龍二年(706年)善導の弟子の懐[リッシンヘンの軍]によりものです。「天竺に衆香の国あり、仏の名は香積なり」という伝承によって「香積寺」と名付けられたのは善導法師が香積仏に例えたためです。この寺を詠った唐の詩人王維の「香積寺に過ぶ」はあまりにも有名です。「香積寺を知らず、数里にして雲峰に入る。古木碑と径無く、深山いずこの鐘か、泉声は危石にむせび、日の色は青松に冷えかなり、薄暮空潭の曲、安禅毒龍を制す」 この香積寺を包む神秘的で奥深い南山の自然が目に浮かびます。唐代以後の長い歴史の中で、この寺も激しい変遷を経てきました。寺の名が北宋の時に「開利寺」と変わったばかりでなく、建物も長い年月を経てほとんど倒壊してしまいました。現在残っている唐代のものは善導法師の舎利塔のみです。この塔は高さ33m、11層の煉瓦造りで、本来は13層あったと伝えられており、風化されて今のようになりました。その精巧で美しい彫刻から、当時の人々の仏教への厚い信仰を読み取ることができます。時代が下がって清の乾隆年間には、この塔の四面に「金剛経」が楷書で刻まれ、塔門には「涅槃盛事」という四文字の額が石刻ではめ込まれています。香積寺は唐代に非常に栄えた時期がありました。当時、懐軍和尚は全国から僧侶を招き、盛大な法事を行い、則天武后や中宋も何度も香積寺を参拝しました。そもそも浄土宗は東晋の時、天竺から中国に伝わって来たので中国における創始者は慧遠で、浄土宗の体系を受け継ぎ完成させたのは善導法師です。ですから、善導法師は第二世始祖と尊ばれ、実際の創始者とみなされています。善導法師は613年生まれ、俗名を朱と言い、今の山東省の出身で、幼い頃に出家しました。645年、善導法師は唐の都長安に移り、しばしば長安城にある光明寺(今の西北大学敷地内)で教義を広めました。彼は全力を浄土宗念仏法門の研究に尽くし、【阿弥陀仏経】一万巻を書き上げました。また、【感無量寿経疎】をはじめ、多くの書を著わし、浄土法門の教相と教義を明らかにしました。浄土宗は「阿弥陀仏」という遥かな悲願を一身に託し、ひたすら念仏を唱えて死後の極楽往生を目指します。「阿弥陀仏」というのは梵語で、無限の光明、無限の寿命、無限の智恵という意味です。日本の浄土宗の開祖、法然上人は善導の継承者として「三国七高祖」の一人です。法然によって、香積寺は日本の浄土宗信者の発祥地となりました。日中国交回復後、日本の浄土宗信者を始め、各界から続々と香積寺に参拝し、善導塔、大殿の修築、改築も急ピッチに進みました。日本から贈られた善導法師像は新築された大殿に安置されています。今、香積寺は単に浄土宗の発祥地としてだけででなく、日中両国いの友好の絆としての役割も果たしています。
 住所: 長安県神禾原 電話: 
 開放時間: 8:00−18:00
 入場料:10元 観光所要時間:40分間