草堂寺

草堂寺

 草堂寺は西安城の西南、秦嶺山脈の北の麓にあり、西安市から役50キロ離れています。 草堂寺の建立は東晋、十六国に遡ります。この寺は後秦の皇、姚興のために造営した逍遥園を基礎として修理し、建てられたもので、唐代の宣宗大中九年(855年)のことでした。後秦の欧、姚興は弘治三年(401年)に当時の涼州(現在の武威)に滞在していたインドの高僧クマラジュを国師として長安に迎え、逍遥園の住まわせました。クマラジュは長安に持ってきた多くのサンスクリット経典を逍遥園で姚興及び三千人の弟子と一緒に漢語に翻訳し、校正しました。また、クマラジュは仏教の小乗学、大乗学を明らかにしました。従来の中国仏教は後漢に明帝の時代に伝来したもので、その法教理も決まっていませんでしたが、クマラジュは仏教教理を漢語の経文によって明確に仏法論理として成立させました。この経典は合計97部125巻に及び、古代中国に最も早く輸入された大量の外国書籍の翻訳でした。そのため、のちの唐の皇帝太宗李世民はクマラジュの偉業を称えて、「十萬流沙来たり振錫、三千弟子共に訳経す・・・」と書きました。 彼は弘治十五年(413年)に入寂しました。70歳でした。 彼は中国の本格的な仏教を伝えた僧です。彼の死後、草堂寺に堂宇とクマラジュ舎利塔を建立し、彼の骨灰を奉納しました。舎利塔は乳黄色の大理石造りで、高さ2.33m、八面十二層です。このため、八宝石塔とも称されます。塔身には精巧な浮彫りの紋飾りがあり、1500年を経た今、貴重な史実の証として珍重されています。寺内の殿宇は後年の建物ですが、両側の回廊の壁に二十基の石碑が嵌められています。最も有名なものは第二門の前、碑亭の中に立っている石碑(定慧禅師伝法碑)です。これは唐代の書道家柳公権の篆書です。また、境内には老木が多く、井戸が1つ残っています。唐代にこの井戸から煙が立ちあがり、地上から天上まで繋がって空に漂い浮かんでいたと言います。 そのため、古くから伝えられる「草堂煙霧」は長安八景のひとつに数えられています。
 住所: 西安市戸県 電話:029−4951437
 開放時間: 08:00−18:00 入場料:20元 普通の観光所要時間:40分間