書法書道関係編

友好の絆、これからも - 中国・西安市 提携40年/奈良市 転送

奈良市と中国・西安市の友好都市提携から1日で40年を迎え、奈良市三条本町の市はぐくみセンターで、記念事業「奈良市・西安市友好の絆」が開かれた。 記念事業には国際理解教育などに力を入れる同市の佐保小や大宮小の児童や保護者ら計約70人が参加。仲川元…

書院門歩行街

←西安書院門歩行街の写真門の東側に、書院門と書かれた大きな門がある。入口のそばには宝慶寺塔という古そうな塔がある。「陝西省第二批重点文物保護単位」とあった。陝西省の文化財のようだ。 ここから碑林まで約570mも通りいったいは伝統的な建築で建てられ…

蟠家山摩崖題刻

祖庵碑林

重陽宮

重陽宮 重陽宮は戸県の西10キロの祖庵鎮の北にあり、ここに道教全真派の祖師王重陽が埋葬されています。かつては全国72の道教拠点から道士が集まっていたほど、規模は極めて大きく、当時は宮殿が5048間、道士は1万人近くいたそうです。その後、何度…

温彦博墓

温彦博(573-636)咸陽市礼泉県 温彦博は并州祁県の人.隋末は幽州総管の羅芸の元の司馬でわったが帰唐して総管府長史を任され、その後、中書舎人、中書侍郎を歴任した。武徳8年(625年)に并州道行軍長史として突厥に進行したが破れて捕虜となり陰山(…

柳公権墓

柳公権墓 柳公権墓は耀県の西北20キロメートルの阿子郷馬吉村にある。柳公権(西暦778−865)字は誠窓。京兆華原(今の耀県)の人、唐代の書家で、顔真卿と肩を並べる。書碑が多く、《玄秘塔碑》、《金剛経》、《神策軍碑》は有名で、書跡には《送梨貼…

葯王山(石碑、書道、書法、石窟)

葯王山 昔の耀州、現在の耀県城から東に1.5キロ、西安から120キロ離れた所に海抜1000mの葯王山があります。 葯王山は唐の時代、”磐玉山”と呼ばれ、5つの山峰が連なり、風景秀麗です。南北朝の時代からは仏教の、唐の時代からは道教の信者がここ…

大雁塔と大慈恩寺

↑西安大慈恩寺と大雁塔の写真 大慈恩寺と大雁塔 歴代の王朝が都を定めた長安。その長安で古都の雰囲気を演出しているもののひとつに大雁塔があります。塔は現在の西安の東南郊外慈恩寺境内にあります。慈恩寺は648年、唐の第三代皇帝高宗李治が亡くなった…

碑林博物館

↑西安碑林博物館の写真 碑林 西安碑林博物館は西安城南門の東にあります。碑林とは文字や図像を刻んだ多数の石碑の集合を意味します。西安碑林は昔の西安の孔子廟を基礎として1087年に建てられました。この博物館は石碑展示室、石刻展示室、臨時展示室の…