漢文帝覇陵編


西安漢文帝覇陵の写真
漢覇陵(文帝劉恒)
 漢文帝劉恒(前203−前157)は劉邦と薄姫の子である。恵帝の死後、呂后が国事行為を代行し、呂氏一族の専横が激しくなったが、呂后の病死すると丞相陳平、大尉周勃らはただちに呂氏一族を誅滅し、恵帝の異母兄弟の劉恒を帝位につけた。文帝は漢朝諸帝のなかでもとくに仁君の誉れが高く、奢侈を廃し官僚の数を減らすとともに、減税や減刑を実施した。特に田租を全廃し肉刑を廃止したのは代表的な仁政と称えられている。漢文帝覇陵は長安城未央宮前殿遺跡の東南57キロ、西安市東郊外白鹿原東北隅,覇橋区毛西郷楊家屹塔村にある。前漢十一陵のうち9つまでが咸陽原にあるのに対し、覇陵は長安城の東南にある。覇陵の西南には文帝の母の漢高祖薄姫南陵があり、陵の西から長陵を遠くに望む。