覇橋遺跡

覇橋遺跡
覇河の古代の名称は滋河と言い、春秋時代に秦の穆公が西戎を破ったことを称えて覇水と改名した。覇橋は中国の歴史上で最も古い大型の橋のひとつで、その歴史は2200年前まで遡り、古代の歴史に何度も登場する。覇橋は西安東部の交通の要衝で、古代の潼関路、蒲津関路、藍田路の3つの街道が覇橋で合流していたため、東部から長安に入るときは必ず覇橋を渡らなければならなかった。そのため、覇橋の周辺は夜間でも通行人が絶えることがなかった。歴史にも何度も登場していて、秦の始皇帝が楚を征伐する王翦を見送った場所、秦の子嬰が劉邦に投降した場所としても有名である。さらに、漢の将軍李広が覇橋を渡ろうとしたところ、酔っているという理由で門番に通行を拒まれ、部下たちが再三李広の身分を説明しても聞き入れられなかったという話も残っている。