漢中(Hanzhong)編
馬超墓祠 馬超墓は勉県の諸葛武侯祠の東500メートルの所にある。馬超(176−222)字は孟起、三国の右扶風茂陵(今の興平の東北)の人。涼州の豪族の家の出身。後漢の末、父の馬騰に付いて軍を蜂起し、その後馬騰の兵を引き継いだ。建安16年(22…
武侯墓 武侯墓即ち諸葛亮の墓は勉県定軍山の西にある。諸葛亮、字は孔明(181-234年)は琅邪陽都(今の山東省沂南)の人で劉備の主要な策士だった。病気をおして出陣し、軍中で死に、遺言により漢中を定軍山に葬られた。武侯墓の付近の山々は起伏が激…
智果寺(明、漢中地区洋県)智果寺は洋県の西38キロにあり、明の永楽、正統、万暦時代の皇后から賜った経巻が収蔵されていることで知られている。正殿は1332年に僧侶の法珪によって建てられ、蔵経殿は1586年に建てられた。 住所:洋県の西 電話:…
良馬寺(元、 漢中地区洋県) 良馬寺は洋県の西35キロにある中統二年(1261年)に建てられた寺である。寺内には多くの建物があったが、現存は大仏殿と戯楼が残っている。西側に仏教故事が描かれた壁画があり、山西省永済県永楽宮にある壁画に良く似て…
蔡倫墓・祠 蔡倫の墓・祠は洋県龍亭鋪街の南で200メートルにある。蔡倫(西暦?-121年)、後漢の桂陽人(今の湖南省彬州市)、字は敬仲。彼は前漢を総括して麻の繊維を製造した経験から、製紙技術を改善して、樹皮、麻、ぼろ切れ、古い魚網を原料に紙を作…